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一家一族での墓選びと埋葬の選択肢について

一昨年、祖母が亡くなった時、お墓をどこにしようか一家で探していた。
もともと、祖母の長男である私の叔父と祖父は、祖父の田舎の本家のあるお寺の墓に供養されていたので、てっきりそこに入るものと思っていたが、祖母の遺言で、折り合いの悪かった祖父の本家の檀家からは抜けて欲しいと書いてあった。
わがままかとも思ったが、経緯などを知っている我々としては、その気持ちを汲んで、檀家から抜けることにした。
祖父、叔父だけそこに残すわけにもいかず、お寺とはすったもんだあったが、なんとか檀家から抜け、祖父と叔父の遺骨も引き取ってくることができた。
もちろん本家筋の人間からはいろいろと文句も言われたが、本人の強い希望ということで納得してもらった。
そこから、霊園を探し始めたのだが、思いのほか良いところが見つからずに苦戦した。
一家親族の希望は予算に見合うことと、近郊にあることのみだったのだが、予算は多めに考えていたにも関わらず、それを上回るものばかりで、なかなか条件が合わない。
結局、少し遠方にはなるが、車で40分程度のところに落ち着いた。
宗教的なしがらみもなく、きれいで自然の多い土地に埋葬できたことで、親族一同は満足だった。
その一年後、叔母も病気で亡くなり、急ごしらえで用意したお墓には、あっという間に4人が入ることになった。
そもそも、宗教にはなんの関わりも持たずにきた人たちだったため、お寺に入らなくてはならないことに強い違和感を覚えていた。
何かにつけてお金のかかる供養ではなく、ただ、見舞いたい人が見舞ってくれれば良いのだと生前から言っていた。


私自身も強く同感するところであるが、戒名やお布施にお金をかけなくてはならないこと、お金次第で立派な戒名が買えることに、とてつもなく違和感を感じている。
宗教とは、生きている人間の現状を納得させ、幸せを感じさせるためのものだと思っているので、結局葬儀というものは、生きている人間のためだし、高い戒名も、生きている、残された人間の自己満足であると解釈するならば納得の行くものではあるが、そこに戒名がないとうんたらというような脅しとも取れる説法は必要ないのではないかと常々考えていた。
宗教という装置には良い面もたくさんあり、毛嫌いしているわけではないが、こと葬儀に関しては、死者を冒涜しているような気がしてならない。
その点においても、民営のお墓は、さっぱりしていて好感がもてた。
どの宗教もOKで、永年使用料金のみで、課金されることもなく、そういった面でも安心である。
ただ、私の両親は、さらに先を行ってしまって、墓はいらないと言っているので、いつかはそこもいらなくなってしまうのかもしれない。
いつまでもあるものなどないという真理に近い考え方だが、海に遺骨を砕いてまいて欲しいと遺言に書くそうで、実際にそういう希望をする人は増えているのだという。
かくいう私自身もお寺には入りたくないとおもっているので、散骨という埋葬方法は理想的であり、選択肢として考えておきたいものである。
主人の父も、本家の寺には入らず、母が用意したお墓に入ったこともあって、近年のお墓のあり方は大きく変わってきているのだと実感しているところである。 愛犬や愛猫など、かわいがっていたペットたちが生涯を終えたとき埋納できる場所もあります。 ペットたちの霊園です。http://www.end6.org/pet.html
私たち人間と同じような手順で作ることができるのかはこちらをご覧ください。