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ある日公営でない、お墓をもった気持ちについて

何年か前のことですが、ある親戚の方からお墓を購入しませんかというお話がありました。
私たち夫婦にとって、まだまだ 先のことと考えていましたが、よくよく考えてみると、人生誰でも、必ず通る道というか、人間は永遠に死と向き合わなければならないときがきます。
私たちの土地柄は、都会の公営のお墓よりは、さまざまな私設のお墓が、売りにだされています。
もちろん 公営のも大規模に見晴らしのよい場所に、造営されています。
春の彼岸とか、秋の彼岸にはお花を持った家族連れで、とても込み合います。
日本人のよき風習だと思います。
だいぶ前のときですが、都会の近郊のお墓に、主人のお姉さんがなくなり、お通夜、告別式とすみ納骨のとき、お墓に行きましたが、とても広々した墓地で、探すのにとても、大変な思いをしたのを覚えています。
そして驚いたことにある有名な白い顔で名をはせた方の、大理石でできたそれはそれは、豪華なお墓をみてきました。
お金のある人はこういうところに、お金をつぎ込んでいるのかと思いました。
でも本人は死んでしまっては、何もいえないので、きっとその周りの人が、そのように、豪華なものを、つくりその名声をあの世にまで、知らしめようとするのだと、思わずにはいられません。
私たち庶民には、到底考えにも及ばない豪華な広々とした大理石の立派なものです。
きっと骨壷も豪華な玉虫色の想像にもおぼつかない立派な骨壺なのでしょうね。
でも誰でも永遠の眠りにつくときは、みな同じように地下に葬られるのが一般の常識だと思います。


都会ではまだまだ納骨できなくて、にぎやかな人どうりの、にぎやかな町の真ん中に立つビルの一室に小さな小さな仏壇が立ち並びそこに、安置されている様子をテレビで、見たことがあります。
私たちの魂は死というものに出会ったとき、どこに行くのでしょうか。
生きている生身の体の時には、到底考えも及びません。
豪華なところに葬られても、ビルの一部屋の小さな仏壇も、所詮人間の死には、かわりがありません。
よく孤独死というのも耳にしますが、とても悲しい気持ちになります。
その人の魂はどこに行くのでしょうか。
でも日本には、とてもよい昔からの 仏教の教えがあります。
京都に旅したことがありますが、古都京都は、神社、お寺が立ち並び、またそこには、各宗派のお坊さんがおります。
きっとそこには、魂を慰め、死者を弔う為のお経が、朝早くから又 一年の始まりつまり元旦の早朝から、各 神社仏閣で執り行われております。
このことを思うとき、私たちは、とても心が救われます。
この世に生を受け、生きた証を各人、さまざまな人間模様を残しながら死というものを迎えるまで、生きなければならないのです。
病気でこの世を去る人もあれば、不慮の事故でこの世を去る人もあるでしょう。
また 記憶にも新しい東日本大震災のように、想像もつかないこの世の無常が、起きる事もあります。
この間の東日本大震災のことを思うと、涙が止まらなくなります。
どんなに怖かったことでしょう。
死という現実が迫ってきたときの人間の弱さが、大自然相手では、どうにもならない現実を、まざまざと見せ付けました。
ですから人間は、せめ